Guidance今帰仁城跡の案内

今帰仁城跡とは

今帰仁城跡とは、沖縄本島の北部、本部半島にある歴史的なグスクです。
世界遺産にも登録されたグスクは、沖縄県の県庁所在地である那覇市から車で約1時間30分の距離にあります。

今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。
堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。

攀安知(はんあんち)時代に、中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは、監守(かんしゅ)が派遣されるようになり、1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残されました。

ボランティアガイドがいます

今帰仁グスクを学ぶ会・案内ガイド

ガイドと歩けば「単なる風景」が「おもしろい観光」に変わります。
チケット売り場で声をかけてください。年中無休です。

くわしくは ⇒ http://nakijingusuku.com/
TEL・FAX: 0980-56-4406
受付時間: 8:30~16:00

Nakijin Castle Ruins今帰仁城跡の案内

エリアマップ

画像をクリックすると拡大されます。

  • 1外郭(がいかく)

    高さは2m前後と比較的低い石垣が延長数百m蛇行して続いています。
    発掘調査で屋敷跡が確認されました。
  • 2平郎門

    本門で、現在見る門は昭和37年の琉球政府時代に修復されました。
    琉球国由来記に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」として登場します。
  • 3大隅(ウーシミ)

    戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所として伝えられています。
    最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭です。
  • 4カーザフ

    カーは川や湧泉を、ザフは迫で谷間を意味します。
    谷間は自然の石が露頭して独自の景観をつくっています。
  • 5旧道

    平郎門から入って右手、曲がりくねった大きな岩盤の谷間を利用し、防衛機能上から幅は狭く急なのぼり道となっています。
  • 6大庭(ウーミャ)

    大庭を取り囲むように正殿(主郭)、北殿、南殿の建物が配置されていたと考えられ、行事等に利用された重要な広場です。
  • 7御内原(ウーチバル)

    今帰仁城跡に仕えた女官の生活の場所と伝えられ、城内でも神聖な場所です。北側から海を一望することができます。(写真:城内上の御嶽)
  • 8主郭

    発掘調査によって築城から廃城までの時期変遷を確認することができました。城内で最も中心的な建物があった場所です。(俗称:本丸)
  • 9志慶真門郭(しげまじょうかく)

    ここには城主に仕えた身近な人々が住んだと考えられてます。発掘調査によって4つの建物があったことが分かっています。
  • 10クバの御嶽

    今帰仁城跡の西にある古生代~中生代の石灰岩からなる丘陵。琉球の時代から続く聖地で、地元ではウガーミと呼ばれる神域です。
  • 11ミームングスク

    ミームングスクは高さ約1.5mの石積みが方形状に積まれています。今帰仁城の出城ではなかったかと考えられています。
  • 12今帰仁ムラ跡

    今帰仁城跡の周辺にはいくつかの集落跡がありました。今帰仁ムラ跡では発掘調査が行われ多数の柱穴や土坑、中国産の陶磁器などが発見されています。
  • 今帰仁城跡のカンヒザクラ

    毎年1月中旬から2月初めにかけてはカンヒザクラ(寒緋桜)が咲き誇り、桜の名所としても親しまれている。2006年に日本100名城にも選ばれている。

Cultural Center歴史文化センター

歴史文化センター

今帰仁城跡をはじめ今帰仁村の歴史と文化を紹介しています。
今帰仁城跡から出土した陶磁器などの資料も展示しています。

3F 第1展示室今帰仁の歴史

今帰仁城跡から発掘された陶磁器をはじめ、今帰仁按司に関わる墓やノロ制度について紹介しています。

2F 第2展示室今帰仁のムラ・シマ

ムラ・シマ(村落)の集落の形態は基盤状や分散型などがあり、そこには御嶽や神アサギや拝所、馬場や湧泉などがあります。

2F 第3展示室今帰仁の生活と文化

今帰仁城跡から発掘された陶磁器をはじめ、今帰仁按司に関わる墓やノロ制度について紹介しています。

1F 第4展示室今帰仁の遺跡

これまでに今帰仁村内で発掘された遺跡を紹介します。今帰仁城跡が築城される以前より村内には多くの遺跡があります。

国宝金装宝剣拵(千代金丸)

金装宝剣拵 きんそうほうけんこしらえ と刀身は 千代金丸 ちよがねまる と呼ばれています。今帰仁村歴史文化センターの展示は国宝金装宝剣(那覇市歴史博物館蔵)の複製です。1416年に中山の連合軍に攻め滅ぼされたとき、 北山王攀安知 ほくざんおうはんあんち は崇めたててきたテンチヂアマチヂ(上の 御嶽 うたき のイベ)の神が守護してくれなかったとして切りつけた刀(太刀:たち)が千代金丸です。自害しようとしたが切れず 志慶真川 しげまがわ に投げ捨てます。後に下流域で伊平屋島の人に拾われ王府に献上されたと伝えられています。

今帰仁をもっと知りたいあなたに

『今帰仁城跡ガイドブック』・『なきじん研究』vol.1~vol.19ほか今帰仁村教育委員会・今帰仁村歴史文化センターが刊行している出版物には、今帰仁のより詳しい情報が掲載されています。
なきじん散策のお供に是非。
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